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常樂院 旭天道光院

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宗教法人 常樂院のホームページ

<常樂院の沿革>

常樂院 俯瞰図(江戸時代)

管長 松下一珠

管長 松下一珠

59代宇多天皇がご造営された仁和寺49院の1つで宇多法皇の開基。
元は花嚴院と号し、現在世界遺産の御室仁和寺の別院。源平の頃、華嚴の巨匠、景雅上人の自坊となり、華嚴の道場として当時の最高学府であった。明惠上人、法然上人、親鸞上人らも学び栄えた。景雅上人没後衰え、鎌倉初期に東大寺別当聖禪上人が再興を図り再び隆盛を極める。当時、鳴滝山常樂院(樂生院)と称した。

当時は境内も広く、東は福王子神社、西は五智山、南は嵯峨街道を画し、北は高雄街道を画して山に接し3つの大山門を有した。鎌倉の頃、本堂、阿弥陀堂、鐘楼、僧坊、湯屋、厠、東禪坊、経蔵、不動堂等の七堂伽藍を具えて壮大なものであった。鳴滝及び蓮池、御室川の一部は常樂院の庭であった。旧鳴滝の全村が境内であった。

現在の常樂院(西賀茂円峰山に仮移転)は当時の金堂の跡と伝えられる。代々、学徳兼備の高僧に受け継がれたが、応仁の乱により仁和寺と共に兵火に遇い境内一円を焼失した。江戸初期(寛永五年)に第21世覺深法親王は、顕阿和尚に常樂院の中興を命じ、寺門興隆と国家安泰の大祈祷をさせた。中興の祖より十世を経て明治に至り廃仏きしゃく等で危機に瀕した時、第十四世戒禪律師、第十五世惠海和尚、第十六世弘行(珠光と改名)と法脈を保つ。

平成26年11月8日に常樂院は、真言宗御室派総本山仁和寺との包括関係を解消し、単立寺院として真言宗華嚴派総本山となる。以後、第十六世が院主(大僧正)。


<お知らせ>

現在、常樂院を元の鳴滝の広大な場所に移転する計画を推進しています。

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